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一つの人格ごとに国家と中央銀行と宇宙を持つ自由を与える

すべての情報に通貨の機能を加える方法と、なんでそれをしなければいけないのかという解説。

最近新しい人にSRNSについて説明している。最初の頃は、「わかりやすく説明できないの?」「まとめて言うと」 等と言ってきたが、頑として受け付けずにできない理由を説明し、議論する体勢に持ち込むとこちらのペースになった。

 

 相手に利益を提示して誘導するしか、うまく説得はできないと一般ではされているが、私はそれが凄まじく不得意なのと、どうやってフィードバックを得たらいいのかがよくわからないので、議論に負けたら全てに従うと考えている人間を探して、集中的に説得することにしている。
 議論に全てを掛けていて、絶対に勝てるほど頭がいいと思っている相手は意見を変えるまで絶対に降伏しない、こちらが強ければ説得した努力を絶対に回収できる。逆に、観葉に見える人間というのは、できるだけ譲歩しておいてある日突然ぶちきれるという、チャーチルが日本に対して抱いていた感覚(日本に圧力をかけて簡単に譲歩するので調子に載っていたら突然戦争を起こされてすぐに旗艦を撃沈された)と同じ性質を持っている。

 表立って主張する人間はそれさえ倒してしまえば遺恨は残らない。

SRNSが一番いい思想でそれと矛盾する思想には欠陥があることを理解したのかと、説得する相手に聞いて「はい」と答えられたのだが、彼は、「善意が循環する社会が良い」という主張と種類が違うので矛盾していないと思っていたそうだ。

 

 それは全く間違っている。第一、善意というのは自分の判断基準からしての悪意を認めない。そして善悪の基準はその時時の権威によって通用する範囲が限定していて、いろいろな定義がありすぎる。それを完全市場以外の原理で人為的に定めて矯正する手法が通用する範囲は限定されているので、すべての状況で指針足りえる思想ではない。

 彼は善意をシステムの設計者が定めることが傲慢でないと思っていたが、それを指摘しても逃げなかった。これぐらい強く主張しても逃げなければ議論が深くなる。具体的な問題から始まって、自分が最も大切に思っていること同士をぶつければとてもいい議論になる。
 

対等に競争できないのに、全力を出せるわけがない

完全市場 評価 通貨

私は人と対等に競争して、手加減なしに遠慮なくやりたいと思っている。

だから、明らかに対等でない時には力は出ないし、対等でない条件で負けていれば、絶対に空いて消滅させるよう全力を尽くす。

 

どんな主義主張があっても、公正というのはこれに尽きる。

 

人は生まれつき平等ではない。一つの尺度では有利不利があっても、その人にとって有利な評価基準では評価される。

 

ロック岩崎のように極度の飛行機酔いというパロットとしての致命的な欠陥も、酔わない運転をする為のガイドラインとして使用することで優秀なパイロットになる武器になる。

 不適性な操縦を検出する精度で言えば、精密なのだ。

 

有用な評価基準だと認めさせる戦いをするための参入障壁が下がれば、どんな欠陥と見られている特徴も利用できる。それ以上の平等はありえない。

全ての情報の通貨性を最大限に向上させるとは?

完全市場

情報とは

 全てである。

評価とは

 演算子で操作可能な情報全て

評価するとは

 演算子による評価と同じ定義

通貨性とは

 通貨の機能が情報にどの程度備わっているか。

通貨の機能とは、

 交換機能 貯蔵機能 評価機能である。これらの機能は以下に記述する定義*信用である。

評価機能

 評価する対象を理解するために必要な努力を削減する程度で昨日の強弱が計測できる

交換機能

 評価をその通貨が理想とする交換ルールで交換できる程度が機能の高低である。

貯蔵機能

 評価をその通貨が理想とする貯蔵ルールで交換できる程度が機能の高低である。

 

なぜ 交換 貯蔵機能は 交換しやすさと貯蔵のしやすさで機能の高低としなかったのか?

 減価通貨や評価を交換しにくいことによって評価の信頼性が高まる場合を考慮した。その場合に貯蔵機能を貯蔵期間の長短で計測すると、高すぎると良くないということになってしまう。

 

交換・貯蔵ルールとは?

何が適法な交換なのかを定めた民法をはじめとするルールが円にはある。適切な交換以外を取り消すための管理権をいろいろな存在が持っている。

通貨の管理権とは?

 通貨の運用ルールや通貨の状態(通貨がどんな関係性を評価している情報に対して持っているのか?)を定めて実行する権限。 円やドルは交換することによって通貨の状態が変化するから、一部の管理権が多くの人に委任されている。

交換・貯蔵ルールの性質の評価基準とは?どんなルールがあり得るか?

交換

評価には交換しにくければしにくいほどその評価の信頼性が上がるものがある。資格があるかどうか判定する方法を信用していなければその資格に価値はないし、資格を自由に交換できたら資格の意味がなくなってしまう。資格があるかどうかの判定を一人が行うのではなく、委任するとして、無制限に再委任をくり返せるとしたらそれもまた信用を低下させる。

交換ルールの要素

 交換可能な権利の移転ルール

    1. アカウント

管理者から誰かに委任したとして どのようなルールで再委任できるか?円やドルなら無制限だが、資格を認定する人間の委任は制限されている。

    1. 交換可能な評価の量

どれぐらいの量を交換できるか?円やドルなら自分が持っている範囲であって、勝手に発行して交換することはできない。

 

タグとは

ある情報に紐付いて検索のための索引となる情報。

たとえば、

https://github.com/koyakei/Cakephp_SRNS

このシステム上でRDBのタグテーブルのこと。

各通貨の単位でタグとタグと紐付いた情報間のリンクの重さ(link table のquant カラム)を決定する。

タグ付けとは

タグと 何かの情報との結びつきを変化させること。交換はそれに当たる。

タグ付け権とは

タグ付けする権利

 

 最大限の通貨の機能が与えられた状態とは?

  現在どのような箇所が最大限になっていないのか?

  通貨の交換回数や交換可能な回数を制限することで、ガイドブックの評価とドルのような取引可能な評価の中間の性質を持つ通貨を発行して利益を上げようとしても、そのような評価を管理する道具を作らなければならないので参入障壁がある。どのような評価の性質でも管理者がルールを決めれば望んだ通貨性を持たせらる用になっていない点が最大限ではない。たとえば、自分が大体評価を管理する格付けの一部を動かす権利を他人に配って共同で格付けを管理して利益を上げようとする場合、格付けを何回誰に動かすことを許すと権利を与えるかを自由に指定できる評価管理ソフトは現在の技術で可能であるが、私が少し作った以外には存在しない。したがって、通貨の発行者はいままで合ったツーかの運用ルールに似た通貨を発行せざるを得ない状態に置かれている。もし大幅に違う通貨を発行したければ、通貨性が落ちた評価を発行することになっている。

 


大前提 - Google ドキュメント

元気じゃないテロリストがNEETになる。

完全市場 自由主義

西洋社会の価値観がグラグラ揺らいでいる?それは違うように思う。アブラハムの宗教とそれ以外の宗教同士で戦っているわけではない。その勝負は第二次世界大戦でついてしまって、あとは常に多神教的なドロドロしたものとの結びつきはゴミのように常に存在するのでそれがつかないように定期的に洗浄しているようなものだ。優勢である限り力押しでひっくり返る状況ではない。

ユダヤ教キリスト教だって人をぶっ殺して野蛮なことをやっていたが、だんだんスマートにやるようになって、人に認められる人殺しをやって、認められない奴らはキリスト教右派とか言われるようになったのだ。

 今回のイスラム教が世俗派と原理主義者との対立も、ただ単にイスラム教が資本主義に適合させる過程なのだろう。金の力は相変わらず強いが、どんどん力を削られていることは確かである。

 

 過激派と呼ばれる人間たちをどんどん切り離していく世の中になっているが、それは下働きの貧乏人を切り離していることと同じだ。NEETとは金を稼がず人殺しをして利益を分捕ろうとも思っていない貧乏人である。テロリストとは、力がほしいが国際的に認められる方法で働きたくない人間のことだ。

 どんな人間も金を稼いで生きる必要があり、自分を殺して金を稼がずに人に集っている人間が嫌いであると宣言する人間は、金を稼ぎたくない人間が積極的に自分を殺しに来ても対等にそれと戦う覚悟ができているのかよく考えろ。

 コミュニケーションとはありとあらゆる手段があり、どれかひとつの方法をやっている限り正義なわけじゃない。自分の認めるもの以外認めない、しかしどんな方法で努力してもよいという全く矛盾した論理を言っていることに気づいていない人間が大半だろう。

 金に対する疑いがある人間の内、理性的でもあり体で考える人間が金を分析し、すべての上方を通過として扱って本当に何でもありの経済戦争で全員が本気で競争できるようにするのか、それとも金だけで表現できる範囲で競争してその他は順番に手をつけていけばいいと考えているのか?その程度のゆっくりとした進歩に人間は満足できなくなっているのだ。ドルで表現できる範囲の価値観に隣接する部分から開拓していけば、全部の価値を金で扱えるようになると考えているのだろうが、一つの金で把握できる面積には限界がある。数学の発展が急速に進まない以上一方の価値を評価できるようにすれば、もう一方の価値が評価できなくなる。イスラム原理主義を振興するための価値とキリスト教的な表現の自由を振興するための武力は同じ金で買うことはできるのだろうが、レストランでいうなら、食事の量と味付けは金で買えるが、ウェイターの態度の良し悪しはひとによって全く違う。風俗には全く違うサービスで良し悪しが計られるとはいうけれども、風俗嬢というひとくくりでみれる。金というのはそれほど人を均質化するものなのだ。その枷が嫌いな人間が世界中にいる。その枷を外しても、通貨の機能によって欲望を全面に出して思い切りコミュニケーションできるようになれるはずだ。

民主主義はいつでも最高の制度ではない。通貨発行権の民主化が最適解ではない。

 民主主義で認められている表現の自由は、文字情報で表現可能な範囲のみをかなり保護するが、体の動きは暴力と区別がつかないのかほとんど保護しない。音楽は文字情報でありながら、体を振動で動かすので体同士のコミュニケーションに近いので、音楽家に薬とお金を入れて商業化して支配できるようにしたのだ。

 また、多数決に関しては、裏切り・騙し合い(政治)の連続なのでその場での盛り上がりをいかに数の論理で自分の力として冷静に計算できるかでかなり有利になったり不利になったりする。

 これらの技能が民主主義の基では非常に重要になってくるが、このアンバランスを許すのか許さないのかで、民主主義を信用できるかできないかが決まってくる。

 金も票もコミュニケーションツールの一つであり、有用な場面が限定されていて、どちらかが絶対的に優れているわけではないと全人類に認識していただきたい。

動詞をどうやってリンク構造で通貨の機能を持たせて表現するか?

通貨の機能の内、タグ付け機能が他の通貨に比べて極端に低いと、暗黙のうちに誰が何をどれ位の価値だと当該通貨で評価しているかを顕在化させるための職業が通貨の発行主体とは別に存在されやすくなる。  するための必要条件を満たす。

 今は、ミシュランとかがあるけれども、評価を認識できる人間すべてがその評価を操作する権利を持って取引できるサービスはないから、タグ付け機能が他の通貨に比べて極端に低いことはあくまで端緒であって、それは必要十分条件ではない。簡単に言うと、タグ付け権を管理する需要を満たすサービスが通貨を発行する存在以外によって需要があった際に必ず運営されるわけではなく、その現象はサービスの需要があっても供給されないという原則から演繹される。

  

 この話をリンク構造かつSRNS形式にするにはどうすればいいのか?

 必要十分条件と必要条件を区別する必要がある。
見かけと何かのスイッチを設けて動かした時の反応を変えるというバックグラウンドでの動作の両方について必要である。

 必要条件はAND条件 必要十分条件はOR条件である。

いろいろな条件に名前が付いているが、結局分解すれば、単純な条件にすべて分解可能であって、単純な条件をGUIで組み合わせてそれに名前をつけて呼び出せるようにする必要がある。

 

 需要の発生 と 供給の発生という2つの段階それぞれが必要条件であり、どちらもサービスが役に立って使われるための必要十分条件ではない。そして、それらの順番は順不同である。

 これらを表現するにはどうすればいいのか?

技術者だけに、言葉の意味を延々と説明させ続けるな。

通貨 プログラミング 

動詞を使っている人間は、動いた後と前の状態をイメージして、その途中でどのような変化が起きているのかわかる。それを集団で分解して、動詞の定義をより明確にする方法が必要だ。

「私が部屋の中でここからそこまで行く」
これだけでも、ここからそこまで、どのぐらいのスピードで動くかということが大体共有できている。

 光の速さで動くわけでもないという前提を理解し、部屋の中では時速6km/h以上で早歩きをしないはずだと考え、さらに部屋の形などに合わせて最高速度は低くなるし、私がどれぐらいのスピードで歩けるかによって最低速度は大体予測できる。
 こんな複雑なことをやって、

「ここからそこまで行こうと数歩歩いた瞬間に立ち止まった。」

「ちょうど目的の机の前あたりまで来た。」

という文章があったときに、どれぐらいの位置にいるのかをすぐに計算できる。
 地点「ここ」+6~2km*時間(一瞬) = 現在地

という数式が必要だと言うことが一瞬にしてわかる。
これは、現在大学入試に受かるための人工知能を作る上で一番困っていることなのである。社会的な前提というものをAIに与えるのは非常に難しいので、この文章を人間が解釈して、できるだけ数学的知識の必要な部分を特定する必要がある。

 進んだ距離を求めるには、時間と速度が必要だという数学的知識を持っていなかったとしても、求めるために何が必要かを数学的知識を持っている人間の代わりに調査して提供することは可能である。

 技術者にとっては、「平均速度」と聞いたときに、部屋の中のいろいろ障害物がある場所の平均速度だとわかって当たり前だし、いちいち説明するのは非常に面倒である。

 

 この隔たりを技術者に埋めさせるのが日本流である。理想的な状態とは、純然たる数学者や実際の世界に数学モデルを適用するときにどんなモデルがありそうかわかる技術者や、それらと全く何もわからない人情を理解する人間や、それらの橋渡しをする人間など、いろいろな性格を持った人間が、情報を少しずつ数学から少し人情寄りの表現または、人情寄りの表現から、オブジェクト指向で書かれた図を経由して数学的表現へと、バケツリレーのように翻訳していくことが必要である。

 いまは、何でもできる一人の人間を探して、それに従って何でもやると言うことになっている。フルスタックエンジニアとかを求人するのだが、何でもできる万能人間を求人するのと、体系的に物事を見て、いろいろな能力のなさを認識してそれを武器にしながら自分の好きなことをやる人間を募集するのは全く違う。

 バケツリレーをするときには、面倒な議論の末に出てくるお互いの認識の違いを常に埋めながら行う必要があるが、それを高速にできるほど意思疎通の訓練ができないのである。

 

 意思疎通の訓練をするときに、立場が上の人間の意図をくむばかりで、役割を変えて、上の人間を徹底的に攻撃して、上の人間が受けるという意思疎通をしない限り、絶対に行き詰まる。業績によって立場が逆転して、かつての上司が言うことを聞くというのではフィードバックが遅すぎる。犬も人間も、悪いことをしたらそれがすぐにわからないと、どの行動が悪いのか反省できない。だから、そのうち業績を上げれば自分の行くことを聞かせることができるから、そのうち正しい人間が上にのし上がるというのは大間違いである。のし上がった時点で学習したことは陳腐化しているのである。

 上の人間を攻撃するには、新体道の組み手と議論がある。議論でやるなら、徹底的に人格否定も含んだ攻撃を辞さないでやる必要がある。その点、体同士のコミュニケーションは思い切りやれるので良い。

 日本人は、専門性と言うことがよくわかっていないらしく、数学的知識を持っている人間は問題を全て解決できると思って、自分がよく知っているはずの自分がどれぐらいの速度で移動するかとか、部屋の形とかの調査まで任せてしまうし、数学的知識を持っている人間の問いに正確に答えられない傾向にある。
 技術者に「あなたはどれぐらいの速度で動きますか?」と聞かれたときに、最高速度を答えてしまうと、この場合間違った答えが返ってくる。平均速度を答えても、まっすぐな道を歩くときの速度では不正確だ。そういったことを考えながら答える必要があり、家の中での平均移動速度を数学的知識を持つ技術者が求めていると言うことを理解して、知識のない人間に聴取することが必要である。また、このような意図を持って聞いていると、技術者が簡単に表明できることが必要である。

 

「通貨の機能を持っているどいう条件満たすのが通貨」という文章があるとする。
満たさない状態と満たす状態の二つにどのような特徴があり、その中間の状態などがどのような変化をするのかを記述する必要がある。これらの機能を強く持った状態と弱く持った状態とではどのように変化するのか?である。