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一つの人格ごとに国家と中央銀行と宇宙を持つ自由を与える

すべての情報に通貨の機能を加える方法と、なんでそれをしなければいけないのかという解説。

洗練 優れているとは? 個人的な評価によって他人の命を奪うことは許されない。

社会契約もそうだが、人間は生きている以上いろいろなものと契約している。物理法則に従うという契約を破棄できる人間はそうたくさんいるものじゃない。時々空を飛んだりする人間がいないわけでもない。

 だが、そうではないルールもる。この通貨で評価されなければほとんどの自由を奪われるとか、そういうルールは気持ち次第で変えることができ、物理的制約は少ない。そうしたルールに乗っかって利益を得ているからといってそれを肯定するのはおかしいと考えている。

 ルールにしたがって競争するときは、できるだけ単純化して勝敗をわかりやすくして、どこが最適化されていないのか訂正しやすい形で勝敗などの結果が出力されるほうが、理性を使った最適化が進む。逆に本能での最適化は、理性を一つの方向に固定しておいて、本能的に単純な会館が発生する方向も細かく指定して、単純な理性の出力で本能を特定の方向に押し出して最適化を図る方法です。両方共問題を単純化して、その回答があっているかどうかテストするという点で共通しています。

 

 競争が有効な条件とは、そのフィードバックを活かせる形で受け取れることが必要で、因果関係がはっきりしている状態が一番理性にとっては理解しやすい。そして、そのような限定された環境は、フィードバックを受けて修正するためには使用していいけれども、それに関わりたくない人間を巻き揉むのはだめだ。

 実験は参加者が大勢いないとできない。そして、社会もまた、ルールを守らせ管理する利益は十分な参加者がいないと労働に見合うほど確保できないので、どうしても各自がルールを設定する範囲は限られてくる。しかし、ルールに合意しない人間をその競争に巻き込むことは、巻き込んだ人間の最適化を促さなかったり、彼らが競争のルールを歪めにかかるリスクが高くなるので、競争を盛況に行いたければ、できるだけ少なくするべきだ。

 

 生態系を維持するためには、まとまってひとつの問題に取り組まなくてはならない。自由にしすぎればルールの管理が大変になり、ルールに従って競争するエネルギーがなくなってしまう。その一方ひとつの方法で追求しすぎても、全員が同じ局所解にはまってしまう。

 あらゆる場所でこのバランスがとれていることがよいのだが、プロトコルの管理業への参入で特に通貨の性質を有するプロトコルの管理業の市場では、ひとつの方法での追求しかほとんど人間がイメージ出来ないので、それに偏ってしまっている。したがって、人類存続のためには最も強力で普遍的なルールのそのバランスを適切にしなければならない。