一つの人格ごとに国家と中央銀行と宇宙を持つ自由を与える

すべての情報に通貨の機能を加える方法と、なんでそれをしなければいけないのかという解説。

資本主義で一生懸命競争すればするほど完全自由市場から遠ざかっていく。

 人の世の最も大きな流れである基軸通貨(お金 money)に考えを近くできる人間で尚且つ投資で表現できれば一番儲かる。しかし、そこでおしまいだったら、自分の価値観がないのと同じだ。

 これに多くの人が疑問を感じているから、金を稼ぐことに正直になれないのだ。そして、基軸通貨の評価と価値観が一緒の人間は、好きなことをやれば金が儲かるから精一杯好きなことをやれという。「好きなことをやれば金が入ってくる」やっている人間はこれを実証しているから正しそうに見え、金を稼げない人間は一生懸命生きていないという根拠にされがちだから、どこか納得出来ない。なんで納得出来ないのか?なんで金を稼げなくても生きるのが当然か?とかんがえる余裕がほとんどの金のない人にはない。しかし、俺は余裕を作ってなんとかそれを理論的に考えて完全に公正かつ最も効果的な解決策を考えた。その最終解決策がすべての情報に通貨の機能を付け加えることである。

 

自分がどれぐらい嬉しいのか悲しいのか寂しいのか どれぐらい何が大事なのかわかってくれた上で、相手がそれに従って物事を判断し、その基準を使って話してくれたら、自分にとってはとてもわかりやすい。自分にとって美味しいかどうかを他の人が教えてくれれば、それを完全に信じて食事をしに行けば良い。いちいち、他人にとって美味しそうな上位1/3から感想を見て自分にとって一番おいしそうな店を探すということをせずに、通貨の機能を与えられた評価を見て行けばいいのだ。

そして、その基準で良い評価をされるために、評価を管理する自分に判定を求めてきて、その判定によって相手の運命が決まるとしたら、その状況ほど相手が自分に対して学ぶ姿勢になっていることはないし、それ以上に相手を自由に従わせることができる状態はない。それが自分の評価を通貨にして人に使ってもらうということだ。とても支配的な地位であり、倫理観が求められる立場である。今この世の中で、その地位になろうとしたら、どうやってやったらいいかわからない人がほとんどであるし、なろうと思っても、すでになっている人と対等に競争することができない。そんな状況の中で、すでに通貨として流通する評価を管理する人間に公正さを求めることができるわけがない。自由な競争(完全競争)がないところには腐敗がある。腐敗しているので、誰も一握りの良いか悪いかを判断する基準に従いたいかと思っていないが、従わざるを得ない。

 金を稼げないものだから、金という通貨を発行している一握りの人間に、その金によって自分たちを評価しろと要求するのは、自分の通貨を相手に使ってもらうという競争を最初から避けている負け犬の考えであるが、権利を要求する強い運動家はそうすることが正しいと考えられている。この曲がった根性は通貨の管理者にとって、自分の管理が正しいのかどうかを同じ立場である他の通貨の発行者との競争によって把握するという楽しみを奪うことなので、今、強い運動家だと思われている人は、通貨の発行者に永遠に見下され続ける。

 もし、通貨を管理する人間と対等に付き合いたいなら、自分も通貨を管理して、対等に付き合うほかない。ただの反乱する奴隷でありつづけるのか?強敵とかいて友と読む関係になるのか?どちらかを選ぶ必要がある。戦いとは融和である。したがって、対等に戦う手段を全員に提供したい。

 通貨を管理するとはどういうことだろうか?広い意味ではそれは通貨を動かすことに影響する行動をすることだ。例えば、動かすルールを決めるたり、動かすルール違反があった時に罰を与えたり、良いと思った対象にタグ付けしたり、タグ付けしたものを外したりという行動がある。

 まず、タグ付けとはどういうことか説明する。

 自分の優先順位と相手の優先順位のどちらが正しいのかを表す2種類のタグ(付箋みたいなもの)をそれぞれの人間がいろいろなものにつけて優先順位を表示すれば、それがタグを使った評価に通貨の評価機能を付け加えていることである。

 例えば、2種類の重要度の評価基準があって、それが付箋で貼られている。付箋がたくさんあれば重要だとしたら、それがタグの重さである。付箋を貼ることをタグ付けという。ニコニコ動画では、ひとつの動画に同じタグを何枚も貼ることができないし、誰がつけたのかを管理していないが、タグを付けることはできる。そのつけたタグを誰がどれぐらいの重さで何回タグを移動できるかは通貨の管理権の一部である。

 次にそれらを動かすルールを定め運用するとはどういうことなのか説明する。

 タグも誰がいくらでも動かせてしまっては、そのタグを信用できなくなってしまう。ミシュランガイドが、ミシュランが発行する星という肯定的なタグの枚数で表現される一種の通貨だとみなすと、星を動かす権限はミシュランのみが持っている。そして、取引によって移動できないので交換機能はないことになるし、貯蔵機能もない。でも、テーブルの同士の幅とか調査員の評価に従って動かすというルールが決められている。

 円やドルに置き換えて考えると、何がいくらだと思うか表示するときにお金を使わないので、自分が何をいくらぐらいだと思っているかミシュランガイドの星のように直接表示することはできない。なので、別の方法で何がいくらか表示している。それが、どれぐらいの量自分がタグを移動できる権利を持っているかということで、それが俗にいうどれだけ借金を含めたお金を持っているかということだ。何がいくらなのかは、金を持っている人がいくら払いそうなのかという予測によって行われるので、本当の値段がいくらなのかなかなかわかりづらい。何が大体いくらなのかは、アマゾンや価格ドットコムや値札を見ればわかる。しかし、自分が欲しくなった時にそれがいくらなのかはわからなない。第一に何が欲しくなるかも分からないし、買うときになって値上げされるかもしれない。自分の常識から外れたものを欲しくさせてしまえば、このような世界では売る方が圧倒的に有利である。なぜなら事前に何がいくらなのか直接確かめられないからだ。

 このような自分が何がいくらだと評価しているとタグ付して伝える手段がない状態、いくらになるから予め空売りするか買ってそれによる儲けで他人の意思を強制的に変える以外表現のしようがない。相手に空気を読ませる立場になることを画策し、自分が思っていることを隠して、欲望に基づく相手を凹ませた分だけ自分が得をするというゼロサム・ゲーム的駆け引きによって相手とコミュニケーションを取らざるをえない。金を持っている人間が欲しくてたまらない状態にして、なおかつそれがいくらなのか正確に把握できない状態に相手を陥れることを金を受け取る側が追求すればするほど儲かるなら、何がいくらかわかっているという状態から遠くなってしまう。何がいくらかわかっている状態を完全情報とよび、完全自由市場(完全競争)の必須条件のうちの一つである。それから何かがほしい人をすべて遠ざけるこの野蛮さが金にまつわる暴力性の大きな原因の一つだ。